悟りへ至る第三の道
私の行うセラピーは、不適応な感情を癒したり、社会に適応することを目標にしてるわけではありません。
どこを目標にしているかというと、端的に言えば悟りです。
20世紀に生まれた発達心理学は当初人間は、成人になった後はそれ以上発達しないと考えられていました。むしろ体力的には衰えていくものと思われていました。
しかしその後人間の器や精神性は成人になった後も発達し続けることがわかりました。その発達がどこを目指しているのかというと、それが悟りだったわけです。
人間の成熟度が完成したところにある悟りの境地。それが私のセラピーが目指す目標です。
そしてその悟りへ至る道筋は、大きくくくると二つあります。
一つが西洋の道、もう一つが東洋の道です。
西洋の道はマズローの欲求階級のように、人間の欲求や機能を順に満たしていく道。
東洋の道は逆に欲求やエゴの存在意識を切っていく道です。
それら二つのどちらがいいのか、というと、私は両方必要だと思います。
しかし、その二つの道も包括しながら最短ルートで悟りへ至る第三の道が実はあります。
それが私のセラピーのベースでもある、認識技術 ntechです。
詳しくは後日また紹介したいと思いますが、論理とイメージで誰もが悟りを理解することができるテクノロジーです。
ノンデュアリティ、永遠の哲学、ヨガ、禅、トランスパーソナル心理学など、世界の様々な叡智と共通するものを持ちながら、それらが目指す悟りの境地を誰もが理解できるようになる、とてつもないテクノロジーです。
私のセラピーは中盤でこのイメージをお伝えしていますが、みなさんもご興味あればご自身で調べてみて下さい。
感情の仕組みと世界の仕組みと繋がったときにすべてが変わった話
こんにちは。
今日は、私が感情と感覚のセラピーを始めることになったきっかけの物語をお話しさせてください。
私はもともと料理人で、フランス料理のシェフをしていました。
20代前半のころから魚を築地に仕入れに行ったり、メニューを考えたり、肉を焼いたり、いろんなことをさせてもらいました。
修行の世界は何年たっても下働きの人もいる中で(最近は変わってきたのかな?)とてもいい環境で過ごさせてもらいました。
元来、勉強もスポーツもできる方だったので、自分の能力には自信があったんだと思います。これからもっともっと学んで一流の料理人になるぞ、って思っていました。
しかし、とある頃から調子が悪くなりました。
なんというか、とても自信がなくなってきたんです。仕入れる魚ひとつ、その捌き方ひとつ、なんでこんなことしかできないんだろう、、、自分はだめだ、、、。
メニューを考えてもこれでよいのだろうか、、、と悩み、
カウンターキッチンだったのでお客さんに出した料理に、全然おいしくなかったらどうしよう、、、と、なにもかもが不安になりました。
「おいしかったよ!また来るね!」といってくれるお客さんに対しても、
本当だろうか?もう二度と来てくれないのではないだろうか?
と、疑心暗鬼が止まらなくなります。
いつかこの仕事は誰かの迷惑になっているのではないだろうか、
こんな中途半端な人間がこんなことをやっていいのだろうか、
ずっとこの仕事を続けていくのは厳しいのではないか、
ただでさえ厳しい業界なのに、そんな考えが四六時中出てくるものだから、
当時はほんとうにきつかった。
ひどい時には死にたいと思ったこともありました。
その時に、高校時代の同級生が紹介してくれたのがnTechという技術でした。
その子は、大学時代からベンチャー企業を立ち上げたり、いろいろビジネスをしていた子なので、職人も私からしたら、それだいじょぶなの?なんか怪しい商売なんじゃないの?って疑ってたところも多少あったでしょうw
でも話をしていくと、私が学生時代からずっと追求してる哲学の話や物理の話も彼の口から出てくるではないですか。しかもその世界とか宇宙の仕組みが、人間の仕組みと繋がっていて、むしろ同じひとつの仕組みでできていと言うのです。その教育をもって、人間を変えて、ゆくゆくはその先に世界を変えていきたいのだと言うわけです。
そんなうまい話があるのだろうか?
そんなものがあったらもうとっくに変わってない?
って思いましたが、
質問すればするほど、さらに深いところからレスポンスが返ってきて、
あーこの子はほんとうに何かを知ってしまったのかもしれないな。って感じました。
ちょっと騙されてもいいから、どんなものか覗いてみようかなー、と最初にいった講座で、人生至上でこんなに泣いたことはないくらいの大号泣をすることになります。
彼の話のとおり、宇宙の仕組み、例えば重力とか電磁気力とか、あるいは原子とか分子とか、そういったものをたったひとつの仕組みで解析を行くんです!
いやあ、ほんとびっくり、その仕組みが分かれば、この世界はものすごいシンプルじゃないか。。。
今まで複雑に見えていたものが、すべてそぎ落とされて、すごいすっきり、、、、。
なんというか、方向がわからない樹海を彷徨い続けていたのが、ヘリコプターで山の頂上まで一気にあがって、すべてがくっきり見渡せたような、そんな感じです。
あー、そうだったのか、、、、。
その瞬間涙が溢れて、止まらなくなりました。
そうだったのか、、、、、。
この世界は。
なんというか、感動が止まらなくなったのと同時に、今まで自分は樹海を彷徨い続けて苦しかったんだということが心の底から感じて、それで涙が止まらなくなりました。
そして一通りすべてが終わって、家に帰ってひとり振り返った時に、一度料理人を止めて、人間のことをもっと知ろう、心の世界の仕事をしよう。そして人間の心と料理を出会わせることができるような人になろうと、今の仕事を始めることを決めました。
おいしいものを作ることはできます。おいしい料理は人生を豊かにしてくれます。
しかしおいしい料理だけで人間は変わりません。世界は変わりません。
今振り返ってみたときに、もしかしたらそんな絶望が自分の中にあったのかもしれません。
人と人が互いに寄り添い合って思い合って、競争し合うのではなく、お互いにより美しくなれるように高め合える、言葉でいうと軽くなってしまうかもしれないけど、そんな世界がつくりたい。そして、その人間と人間の間においしい料理があればと思うのです。
まだまだ私の変化ストーリはいっぱいあるのですが、ひとまず今日はなぜセラピストという仕事を今してるのか、その裏にある思いを感じていただけだらと幸いです!
感情の役割を知るといろんな事がかなり変わる
・新しいことをはじめてもなかなか長続きしない。
・そもそも新しいチャレンジをしたい気持ちにならない
・そんな自分をみて、やっぱりだめだなー、って思ってさらに動けなくなる
そんなスパイラルにはまって苦しくなることってありますよね。
それで一念発起してまたがんばってみようと思うけど結局おなじことの繰り返しになったりして。
こんな状況を打破するにはどうしたらいいのか。感情と感覚という側面からお話したいと思います。
よく行動に移すには感情を変えてからっていうようなこと聞きませんか?
ただ行動をするのではなく、それをやりたい!という気持ちをしっかり作ってから行動しないと、ただ形だけになって続かなかったり中途半端になってしまったりするんですね。
でも感情ってどうやって作るのでしょう?
どうやって継続させるのでしょう?
目標を書いたり、やりたいことをビジュアル化して壁に張り出したり、
言葉で繰り返したり、やり方はいろいろあるんですけど、失敗する確率が高いですね。
感情の役割や仕組みを知らないでどうこうしようとしても、結局は行き当たりばったりで、うまくいったりいかなかったりするんです。
だから私は感情の役割や仕組みをしってから、感情をうまくコントロールしていきましょうってお伝えしています。
例えば、新年が始まって今年は英語を話せるようになろう!って思って意気揚々として始めたはものの、15日くらいたってしょぼーん、みたいになる場合。感情の役割からみたときにどんな動きが隠れているのでしょうか?
すごくシンプルに言うと感情には二つの役割があります。
それは
①危険や危機から離れる。現在の安全を確保する。
②食べ物や出会いを求めて、環境を変える。新しいことをする。
この相反する2つの動き。
現在を保つのか、新しいことをするのか。
どちらがいいとか悪いわけではありません。
むしろどちらも大切です。
ただ現在の安全を確保しなければ、生存そのものができなくなるように本能は感じるので、①の方が強めに人間はできています。
例でいうと、新年になって②の新しい日常を作りたいという気持ちが高まってきたのにもかかわらず、2週間くらい経って今の日常を続けたいという①の動きが、②の動きよりも強くでてきたという感じで、結果あたらしい自分になりたいという②の気持ちが低くなってきたと言えるでしょう。
では役割を理解したらどんな対処法ができるでしょう??
まず例の場合は、大抵ここで継続できなかった自分に対して、失望感が出てきます。
それが2次障害になって、あー結局次もできないだろうなー、という未来予想をつくるのでそれを除去します!!
どういうことかというと、この役割がわかっていれば、①の方が②よりもそもそも強いんだなー、だから仕組みから言えば自然なんだ。決して自分が悪いわけではないんだ。確かに現在の生活を維持するのって、生物的にみればすごい大切だもんなー。って客観的にみえてきます。自分を否定する気持ちが薄れてきます。
これがまずやること1つ。
ちょっと長くなったので、もう1つは次回に回しますね!お楽しみに!
変化の第一歩に共通して起こっていること
こんにちは。
今日は人が変化するときに起きていることとはなんなのか?
っていうお話をします。
変化をするためにはいろいろな手段がありますよね。
・とにかく目標をつくって毎日チェックする
・やめたい行動を書き出してみる
・繰り返している言葉を変える
・友だちに約束をする
などなど。
変化の手段はたくさんあるのですが、それらに共通することはなんなんだろう、って気になりませんか?
というのも、いろいろやり方はあるけど、どれが自分にとって合っているのかなかなkわからないし、
自分は変化できても相手(会社の人とか家族とか)にそれを伝えるのは難しい。
ならば人が変化する時の共通の仕組みみたいのがあって、それがわかればいろいろすっきりするんじゃないかって思うんですよね。
私はセラピストなので、人が変化するその瞬間の、
「あ、ここからかなり変わっていくだろうな。」
っていう瞬間がわかります。
その時に何が起きているのかっていうのには、いろいろな要素があるのですが、
ひとつ大きなものとして今日お伝えしたいと思います!
人が変化するときに起こっていること・・・
それは・・・
しっかり自分を感じること、です!!
どゆこと???
って思いますよね。
もっと詳しくいうと、自分の気持ちや感情をきっちり感じて、
その自分を感じながらしっかり扱えてる感覚です。
その状態を強い自己、って言ったりします。
なぜそれが変化に繋がるのかというと、
とてもシンプルなんですが、
強い自己を感じれた時に、
「あー自分はできるな」
って思えるから。
いろいろな気持ち感情を回避するのではなく、それを自分の一部としてしっかりホールドできる状態を感じれると、何が起きてもだいじょうぶというような安心感を覚えて、
そしてそこから、大きくなくとも自分は何か変えられるような気がしてくるのです。
自分自身が自分自身のことをしっかり扱えている感覚が、なにか変化を起こすパワーが自分にはあるんだという自己効力感を生んでいくんですね。
そのためにまず私は、感情をそらさずにそれをしっかり感じることをやります。
どうしても人は苦しい感情や嫌な感情から逃れようと、他のいろいろなことをしたくなるので、そちらに逃がさずに、その感情を感じるように進んでいきます。
そしてその感情に飲み込まれるのではなく、その感情をまっすぐ自分の一部として抱え込めるようにしていきます。
怒りや悲しみや不安や後悔や、そんな感情も自分のものとして感じて、自分のものになったときに、何か自分の懐というか器みたいなものがひとつ大きくなった感じが必ず起きます。
その時には、
「あー、もっと次に行きたい。」
って、なってます。
なので自分の感情をしっかり感じて、
自分の一部として受け入れていく。
その時のひとつ大きな自己感を感じてみて下さい。
きっと何か希望が見えてきます。
感情の生まれるとき
今実家で飼っている柴犬は2代目で、その前には「道」という名の柴犬を飼っていました。
もともとノラ犬で、あまり人に興味を示さずいつも静かにしている。
逃げられる隙あらばすぐ逃げ出して1日たったくらいに家の周りをうろつき始めて帰ってくる、そんな犬でした。
三つ子の魂百までといった感じで、何年いっしょにいても愛想悪く、でもそんなところがうちの犬らしくていいねと言ってみんなかわいがっていました。
高校生になった頃のこと。
代官山か高円寺かよく覚えていないのだけど、すごくかわいい財布を見つけて愛用していました。
ある日その財布が見当たらないと思って探していたら、犬小屋の中で道がもそもそしている。
まさかと思ってのぞき込んでみると、その財布をがじがじ噛んでいました。
とてもショックで、なにやってんだ!っていう気持ちになって、でも怒ってもしかたないという考えと、なんというか、いたたまれない感じになりました。
使えないこともないけれど、もうボロボロで、なんだか悲しい気持ちになるのでその財布は物置にしまって、新しい財布を買いに行きました。
その後、私は高校を卒業し、実家を出て東京で働き始めていました。
レストランの仕事は朝から晩まであって、休みは週に一回。毎日が多忙でした。ただ料理のことだけを考える日々。
そんな私に、「道が死んだ。」という知らせが届きました。
年は15か16才になっていました。大往生でしょう。
本当は駆けつけて最後のお別れを言いに行きたかったのだけれど、まったく余裕がなかったから心の中でお別れを言って、彼女の最期の顔は見ていません。
きっと彼女のことだから、最期も愛想なくたんたんと静かに逝ったんじゃないかな、と思います。
・・・そして何年か経ち、私は実家に帰りました。荷物の整理をしていると、あの財布が出てきました。
皮は少し乾燥してほこりもかぶっていましたが、あの日のままでした。
その財布を手に取った時、心の中のなにかが動き始めました。
いっしょに遊んだ記憶とかほとんどないし、じゃれ合うようなこともない。
エサをあげるときだけ興味を示してお手をしたり、庭の柵のスキマを通って逃げ出したりして、帰ってきたら泥だらけでどこで遊んだのかわからない臭い匂いをして帰ってきたり。
でもそんなところが今でも愛しく、そうやっていろいろな思い出が一枚の絵画のように甦ってきて、素晴らしい日々にいたんだなと思いました。
悲しい気持ちになった財布が、簡単に言葉にすることはできないほどの美しい何かを表すものになっていました。
人は文脈という海を泳いでいます。その文脈の状況によって意味は生まれてきます。
解釈された意味によって、味わう感情も変わってきます。
絶対的な意味もなければ、絶対的な感情もありません。
今までの意味がその意味を失ったり、まだ見ぬ意味が突然生まれてきたり、それは波のように進んでいきます。感情の波も進んでいきます。
だからもし、変えたいと感情やどうにかしたい感情があるとしたら、それ自体をどうこうするのではなく、新しい文脈に気づけることや意味を創造できる心を育てていくことが大事だと思っています。
たとえばセッションでは過去にいったり未来に行ったり、
あるいは自分じゃない誰かの目線にたってみたり、
いろいろ新しい文脈に出会うようなこともします。
そこから自分が新しい意味を創造してく現場をいっしょにつくります。
過去も未来も現在も、今この瞬間にどう見るかによって変化するのです。
生きることの豊かさは、感じる意味の豊かさで、
幾重にも折り重なった経験の中から、新しい何かをそっとすくい上げれば、そこに多様な意味の重奏が聞こえてくるはずです。
その時、新たな感情もいっしょに響いているはずです。
感情との距離感をイメージしよう
突然ですが、感情って近すぎても遠すぎてもよくない、って思っています。
特にネガティブな感情は。
感情が近いとか遠いってどういうこと?って思いますよね。
でもこの感情との距離感ていうのは、とても大事なイメージです。
これは先日の電話でのセッションの一コマ。
彼女は20代の女性で、いろいろ他のセッションも受けていて、
自分の考えのパターンや行動のパターンをしっかり自覚されてる方でした。
そこでお悩みを聞いてみると、
「仕事行く前とか、朝起きた時とか、なんか心臓がバクバクして緊張しすぎちゃって、なんかそれがとてもきついです。ここ最近感情が追いつかなくなっている感じです。あーこれだけ自分を見てきたのに、また戻ってきちゃった感じでそれもショックで・・・。」
いろいろ自分のことを頭では理解したけれど、感情や体がどうもいう事を聞かない。
これだけやってきたのに、また戻ってしまっている自分にさらにショックを受けていました。
こういう事ってよくありますよね。
頭では分かっているけど、気持ちがどうにもならない。感情が変わらない。
んー、どうしたらいいんでしょう?
これはずばり、感情と出会えていないことから起こる問題です。
出会えてない?
だって彼女きついって言ってるじゃん。って思いますよね。
でもそうなんです。感情と出会えてないんです。
例えば、悲しい気持ちとか怒りの気持ちとか、緊張とか、そういうネガティブな感情が来た時。
私たちはその感情を、失くすか、見ないようにするか、感じないようにします。
あらたまって、
どんな感じをしてるんだろう?
今どんな感覚がきてるんだろう?
って感じるてみることってないですよね。
どうにかその感情から逃げようとする。
彼女の場合もそうでした。とにかくその緊張やきつさから逃れたかったしどうにかしたかった。
「それはどんな感覚でしょう?身体ではどんな感じがしますか?」
と問いかけてみました。
すると、いつもは冷静に話す彼女の声色が少し震えてきて、なんだかとても苦しそうな感じになってきました。
この時に、感情との距離が大事になってきます。
おそらく今とても感情と距離が近くて、それに飲み込まれ始めてます。
だから離れたい逃げたいってなって、また感情と出会えなくなる。
ここで少し距離をとってみるんです。
「その身体で今感じる何か、そのドーンという苦しい何かを、目の前のテーブルに置いてみることはできますか?」
「・・・はい・・できそうです・・。」
「どうでしょうか。その何かを変えようと思わなくていいです。その何かとゆっくりいっしょに居る感じで、感じてみることはできますか?」
「・・・・」
沈黙の時間が3分でしょうか、流れました。
少し泣きながら彼女はぽつりとこう言いました。
「ずっと・・これをどうにかしようと・・否定して・・見てあげてなかったんですね・・・なんか可哀そうな気がしてきました・・」
さらにゆっくりその感情や感じてる何かと一緒にいる時間を過ごして、
約1時間のセッションをクロージングしました。
振り返りの時の彼女の感想です。
「いかに自分をコントロールしようとしていたのか、
感情をコントロールして、抑えて抑えていたから、
苦しかったし無気力になっていたんだと気付きました。」
そうなんです。
私たちは苦しい感情をどうにかするために抑えたり逃げようとする。
でも、その苦しさは変わらない。
でも、どうしたらいいかわからない。
その時には感情との距離をイメージしてみましょう。
苦しい時は、感情と自分が近すぎて、感情に飲み込まれています。
感情に飲まれているときには、感情と出会えていません。
それがどんなもので、なんのためにあるのかも見えなくてただ厄介なだけ。
でもゆっくり感じて、ゆっくり出会っていくと、
あなたのその感情がなんのためにあるのか、
何を伝えようとしているのかを感じてきます。
それを感じてくると自分の中の何かが動き始めます。
変えようと思わなくても変わっているという感じです。
感情や感覚としっかり出会う事。
その時に距離感を感じること。
もし苦しいような、どうしようもない状況になったら、
そんなことをイメージしながら、やってみてください。
感情と感覚にまつわるブログを書こうと思った理由
こんにちは。
私は元フランス料理のシェフをしていて、現在はセラピスト・コーチをしながら、人と人が安心して〈自分〉でいられる場を料理を通じて創っています。
このブログの主旨はタイトルの通り、自分と他者の感情とどう付き合っていけばよいのか、というものです。
料理の仕事を通して、そしてセラピストという仕事を通して、
人が生活していく上で大事なことは、反対を言えば問題や苦しみが生まれるのは、
〈感情〉というものをうまく扱えないということに気付きました。
例えば、
「後輩に仕事を教えているけど、いつも受け身で主体性がない、自分のことばかり考えて周りを見ない。それでこちらが教えようとすると、傷ついたりふてくされたりする。」
これは最近相談があった方のお話ですが、この問題の裏にもさまざまな感情が隠れています。
・仕事を教えることに対して自分はどんな感情があるのか。
・受け身になってしまう時にその後輩はどんな感情なのか。
・後輩がふてくされた時に、自分はどんな感情になり、その感情をどうすればいいのか。
人間はひとりでは生きていけません。
人と人との中で私たちは生きている。
そしてそれは気持ちと気持ちが交わる場所で、感情は人と人との間で生まれます。
それは喜びでもあるけれど、さまざまな困難ももたらします。
ならば喜びはさらに増やして、怒りや悲しみは適切に使って、
深くやさしく相手と付き合っていく方法はないのでしょうか。
実際さまざま方のセッションをする中で、〈感情〉というものをきっちり扱って、きっちり整理がおきれば、その変化は確実なものになっていきます。
それはわざわざセッションをしなくても、〈感情〉の仕組みと〈感情〉の取り扱い方がわかれば、変化は生まれるものです。
対面で会える人にも限りがあるので、より多くの人に少しでもなにかお手伝いができればと思いブログを始めます。
私が今まで学んできたこと、そして日々気付いたことをシェアしますので、
あなたの日常に活かしていってもらえたらと幸いです。